東成のだんじりあれこれ

フレームTOP


(2001/5/3 update)

明治前・中期頃の東成地域図(一部)

この図は、東成区近辺の明治20年ころの行政区画を示したものだそうです。(出展は不明) 現在の東成区には中本・西今里・大今里・東今里・中道・東小橋・深江の7台のだんじりがありますが,その地区名はこの地図に記載されている地区名とほとんど同じです。唯一異なるのは、「本庄」が現在では「中本」に変わっていることだけです。 明治から大正昭和にかけて行政区画が何度も変更されており、「本庄」「中道」「中浜」などが「中本」という名前で統一されたのが明治中期だそうです。 その後、再び分割されて,「中道」「中浜」は元の名前に戻ったのですが,「本庄」のみ「中本」という名前を継承して現在に至っているようです。 それにしても、行政区画がめまぐるしく改変されても、江戸時代から明治時代の地区名がだんじりの地区名として現在でも残っているのは驚きです。 東成7地区以外にも、北側には鴫野・永田・天王田・中浜など、そして南には、猪飼野・片江・中川・腹見・大友など、その地区名が今もだんじりに受け継がれています。 だんじりの衰退期や現在のような活況期にも、東成近辺のだんじりは減りもせず、増えもせず、昔のままの形を守っているのです。